震災から約1ヶ月。
気持ちを文章にするにはあまりにも大き過ぎる災害で
ブログから遠退いていました。
災害はいかなる時にも起きることは知っていても、
こんなに破壊をもたらす力あるものを誰が予想していたことでしょう。
私はと言えば、ただただ祈るばかりの毎日を過ごしていました。
時に被災者となり故郷を離れた友と再会し涙し。
時に被災地で暮らす友を思い涙し。
未だ行方の分からない友を毎日思い。
その様な日々の中でターミナルケアも佳境に入り『いのち』を、
ただひたすら『いのち』を感じる時を過ごしています。
それでも、そのような中でも、合間を見つけ自分という存在を
取り戻すために必要な場に幾つか訪れたりしていました。
溢れる情報。溢れる思い。そして激務。
受けとめるにも、消化することが難しいのです。
上の写真は水辺に映った木々の姿。
私の父が生前好んで出かけた奈良大和路にある神社の池です。
早朝は吉野の山にある金峰山寺で祈りの時を持ちました。
東日本の災が一刻も早く鎮まるようにと僧侶、山伏達が祈りを唱えています。
あぁ、ここでも、祈って下さっている…。涙が溢れました。
知らない所で祈る人達がいる。沢山の人達が心から祈っている。
どうか負けないで。現地に走り力の限り共に働く人々もいる。
そして離れていても、心を寄り添わせ祈っている人がいる。
きっと日本は変わる。いや変わらないといけない。
もしも混乱したら深呼吸しよう。
木を眺め、空を眺め、とびきり深くて気持ちいい深呼吸を。
体だけでなく心にも深呼吸は大切。難しく考えないで。
呼吸を心にもと思えばいいだけ。
そして、ちっぽけな自分が、誰かと声を掛け合い助け合い、
時に微笑むことで、少しずつ何かを変える力があることを信じよう。